レイキとは
誰でも皆、元気をもらえるスポット、思わず踊ってしまう音楽やおいしいご飯、心をホッコリ温めてくれる本のように、気持ちのいい物、場所や人に出会ったことがあるはず。何故なら、それはその物質が持つ宇宙エネルギーが波動の形で偏在し、中でも高い波動は全てを生かし、調和に導く生命エネルギーでもある愛の波動であるから。そう、量子物理学で既に解明されているように、この世の全てのものには意識や波動があり、全て違うレベルのそれを出している。この愛の波動である大宇宙エネルギーが人の体内にある時は生命エネルギーとなり、自然治癒力や人生を力強く生き抜くための活力を与えてくれる。大宇宙と自身の波動が合っている状態(同調)は、本来の自分に回帰し、身体や精神活動が健やかな状態、調和がとれた状態であると言える。この高次元の大宇宙エネルギーである愛の波動は、日本では太古より「レイキ」、中国では「気」、インドでは「プラーナ」、ハワイでは「マナ」と呼ばれている。
写真:© Sigel Leicht
レイキ法とは
1865年に岐阜県山県市谷合に生まれた臼井甕男氏(1865〜1926)が断食中に期せずして得られた手当療法。大自然、大宇宙との波長に同調することによって心身の健やかな状態を得るための活用法、それがレイキ法。”健康と幸福への道” から始まる “安心立命” への道、正式名称は心身改善臼井霊気療法。
人生を平和に、かつ深いものにするためにレイキと繋がる練習。それは手を当てることから始まり、病気や怒り、心配などダメージを与える波動から私たちを守り、自身の波動を高める練習から始まる。ヒーリングの実践を通し、宇宙エネルギーの活用に習熟することにより、自己の人生を創造するサポートになる。ネガティブなエネルギーに取り込まれず、自然体の自分でいられる心地よさは手当ヒーリングから始まり、心のあり方を学ぶことで得られる。
レイキ法を学ぶことは、レイキの真髄でもあるエネルギー伝授、またはアチューメント(レイキの通路を開く事)からスタートする。つまり、自分自身が宇宙エネルギーであり愛の波動であるレイキと繋がることにより、その通路となる。そして全てのものを癒すことができる為の、かつ、宇宙の意識、宇宙のリズムと一体化し、共振共鳴をさせる為のアチューメント(波長合わせ)である。21日間の自主練習の後、自他ともにヒーリングが可能になる。アチューメントにより開かれたこの通路は一度開かれたら一生のものだが、ここからが本格的な学びのスタートとなり、日々の心のあり方と実践に大きく関係する。
私は初のエネルギー伝授の最中、大宇宙に抱かれ、大きな愛に包まれる多幸感に感動と感謝の涙が止まらず、一瞬のうちに私たち人間は小宇宙の存在であると感じる体験をした。その後のセルフヒーリングによって、慣れない海外生活と多難な国際結婚で心身ともにボロボロだった体は少しずつ癒され、元気を取り戻していく。特に怒り、悲しみの臓器である肝臓に手を当てた時は感情があふれ出し泣かずにはいられず、涙が止まるまで手を置き続けた。涙を流すことも忘れていた当時の私にはそれが最大の癒しであった。同時に持病のアトピー性皮膚炎も徐々に回復を見せ、心と体の繋がりを無視できなくなる。実践を続けるにつれ、毎年患う扁桃腺も起こらなくなったことに気がつき、自分の免疫力が上がったことも実感する。
レベル順に学ぶ内容は段階を追うごとによりシンプル、かつ、より精神性向上へと近づく。理論(セオリー)での理解よりも体験(技法の活用やセルフヒーリング)からくる理解は計り知れない。体験し理解したことは一生のものであり、それを超える学びはない。
この世の中で起きること全てが学びであるが、学びとして受け入れられるか、がキーポイントとなる。意識の変化が起こるのも、レイキ法を深めることで見られる現象の一つ。人間が本来持って生まれた、しかし忘れてしまった潜在能力を呼び起こすきっかけとなる、そして究極のリラックスと気づきを得るための技法である。しかし、特別な能力や体験を追求するための技法ではない。レイキと共に生きる生き方、それがレイキ法。
現代霊気法とは
臼井甕男氏から脈々と現代まで受け継がれる臼井霊気療法学会の会員である、土居裕氏(1935〜)によって編み出されたレイキ法の一つ。臼井霊気療法学会から伝わる伝統的な手法と、臼井氏の最後の愛弟子であった林忠次郎氏(1879〜1941)から派生し、高田はわよ氏(1900〜1980)からアメリカで進化を遂げ80年代に日本へ帰ってきた西洋レイキとの双方から、バランス良く効率的に「心身の癒し」「精神性向上」の2つの面を中心に体系化されたのが現代霊気法。
土居氏のモットーである「怪しくない、おかしくない、難しくない、健康と幸福をめざす霊気法」にある通り全てにおいて論理的、かつ合理的な氏の教えは日本国内にのみならず全世界に実践者を持つ。
臼井甕男氏について
臼井甕男先生については諸説ありますが、以下、土居裕先生の著書「癒しの現代霊気法」、そして著書内にある土居先生の現代語訳による「臼井先生の功徳之碑」に基づいた内容になります。
臼井先生は1865年(慶応元年)8月15日、岐阜県山県郡谷合村(現在の岐阜県山県市谷合)、臼井家の長男として誕生しました(谷合にある天鷹神社には先生と兄弟の名前が刻まれた鳥居があります)。幼少時の先生は苦学をしながら勉学に励み、他の児童よりもその学力は遥かに超えていたそうです。十代半ばには郷里を離れ、その後は数回にわたって欧米に渡航、そして中国に留学します。非常に温厚で慎み深く、うわべを飾らない性格で、歴史や伝記、医学、仏教やキリスト教典、心理学、神仙の術、呪術、易学、人相学にいたるまで熟知する学芸経験を持ち、更には公務員、会社員、実業家、新聞記者、政治家の秘書、宗教の布教師、刑務所の受刑者を教導する教会師などと職を転々としながら視野を拡大し、多々の経験を積まれたそうです。
様々な職業や人生経験を通し、いつしか「人生の目的とは何か?」を深く探究するようになりました。そして、それは「安心立命を得ることである」との認識に到達しました。安心立命とはすなわち、精一杯の努力をした後は天に任せて安らかな心を持つ、という事であり、この認識は先生の第一の悟り、と言われています。
先生はこの第一の悟りである自我意識による知的な悟りから、更に深い真の悟りである、真我による直感認識での真理との一体化を目指し、3年の座禅修行の道に入ります。これは安心立命の境地の獲得への道でした。しかし、思う通りに修行は進まず、悩んだ先生は禅師に相談をするのです。が、答えは「一度死んでごらん」、と非常に禅問答的なものでした。そこで先生は自分の人生もこれまで、と覚悟を決め京都の郊外にある鞍馬山にこもって断食を開始したのです。時は大正11年3月頃のことです。断食を始めた数日後から、鞍馬山に充満したレイキと自分の中のレイキが共鳴し始めたのを感じました。それは日に日に強くなっていくのですが、ついに三週間目の真夜中ごろに、脳の中心部に落雷をうけたような衝撃を感じ、そのまま意識不明となりました。気がついたのは夜も白々と開け始めた頃、今まで感じたことのない心身爽快な気分に満ちていました。宇宙のレイキと体内のレイキが共鳴することで宇宙との一体感を達成し、求めていた真の悟りの境地にたどり着いたことを実感するのです。すなわち、求めていた安心立命の境地を獲得したのです。これは過去の出来事でいわれるように、真の悟りを一瞬にして得た「大悟を得た人」に見られる現象です。
さて、歓喜と共に山を下りる途中、つまずいて足の爪がはがれ、先生は思わず手を当てたところ、一瞬にして痛みが去り即座に治癒する体験をしました。ここから次々と奇跡的な治癒力で人々を救ったことから、宇宙から癒しの力を与えられたことに気がつきました。この癒しは鞍馬山で体験した、宇宙との一体化と同じく、宇宙レイキと自身の内なるレイキとの共鳴で起こることが分かったのです。「誰にでもできる手当療法を教えよう。手当を通じて宇宙レイキとの共鳴を高め、人生の目的である安心立命を伝えよう」と決心しました。
1922年大正11年4月、レイキ療法の教義と指導体系を確立し、臼井霊気療法学会を東京に設立します(当時から続く臼井霊気療法学会は今現在も存続します)。そこでは心身を病む人に対する治療と、会員にはその治療ノウハウを伝えました。その治療と指導を求める人達で戸外には長い列ができていたと言われます。中でも当時の海軍高官たちがこぞって会員になったそうです。それは長い航路での自己健康管理能力を身につけること、そして主に精神性向上に対する大きな興味を抱いていたのが理由であったのでは、と推測されています。
翌年の1923年、大正12年に起きた関東大震災時には先生と門下生は多くの人命を救いました。1926年、大正15年3月9日、全国各地への指導中、福山の宿にて急逝、数えで62歳、満60歳、臼井先生の生涯は幕を閉じました。
土居裕氏について
1935年11月2日、日本の岡山県の禅僧にゆかりある家系に生まれ、祖父方の家庭環境から、土居先生は幼少時より座禅と瞑想に親しみ、僧侶ではありませんでしたが、早い時期から目には見えない世界に精通していました。職業訓練の後、国営電話会社に勤め、キャリアを積んだ後、名のある会社にも勤務するのですが、数々の転職も経験します。先生自身も家族も健康であったのですが、友人や同僚達の病気が最良な医療による処置にも関わらず、完治しないことを気にかけていました。親友が脳卒中で倒れたため、フォークヒーリングと共に東洋医学に大きな興味を抱くようになりました。
とりわけ、先生は精神世界や宇宙エネルギーに関する世界に傾倒し、30種以上ものオルタナティヴヒーリングを学びます。その中で、1991年、ドクター・バーバラ・レイによる ”ラディアンス・テクニーク” を学んだ三井美江子先生から西洋レイキを学び、今まで学んだ全てが、そして先生が求めていたもの全てがこのレイキ法にあると確信しました。それはレイキ法レベル1とレベル2を受けたのち身体の不調が解消し、ものごとをポジティブにとらえられるようになる上、日常生活であらゆることが好転する円滑現象が起こることから得た直感的な確信でした。
レイキの世界へとのめり込んだ先生は、偶然にも臼井甕男先生自身が設立した臼井霊気療法学会(臼井霊気法の会)の会員の紹介により1993年10月に入会し、そこで伝統霊気を学び第6代臼井霊気療法学会会長、小山キミ子氏より霊授を受けました。涙が止まらないほどの感動の体験だったそうです。”やっと心の故郷に戻ったような気持ち” であり、そして彼自身の中が喜びに満ちた温かなもので溢れ、それがストレスなどを洗い流し、心と体を満たした “これぞ、内なる平和のエネルギーである” と自身の本に記しています。オリジナルのレイキ法(伝統霊気)を学ぶうちに、西洋レイキとの違いがあることを発見し、その違いをもっと広めたいと考えるようになりました。そのためにアメリカやヨーロッパスタイルに存在する様々なレイキ法を学ぶこととなります。三井先生、小山先生に次ぐ3人目の師はインドのバグワン師に師事していたアルパン氏、その師が設立したネオ・レイキを学び、レイキ法全体を最初から最後まで立体的に理解しました。
この3人の師から学んだ、伝統霊気と西洋式レイキ、いわゆる東西の融合をめざして「心身を癒す技法」と「精神性の向上に役たつ技法」の見地から、効果の保証ができる極限まで技法のシンプル化と、日常生活で気軽に活用できるものとしてのカリキュラムを1995年に確立しました。1996年の最初の現代霊気セミナーより、1998年の初の出版、「現代霊気法-癒しの現代霊気法」、そして1999年のURRI協会によるバンクーバーでの英語への翻訳から一気に広がりを見せ、海外の現代レイキ実践者が増えることとなります。2015年10月、先生を迎えてスペインのエル・エコリアルとマドリッドにて ”臼井先生の精神と伝統レイキの真実” というテーマにてワールドギャザリングが開催されました。2018年、念願であった臼井先生の生誕の地である天鷹神社に「生誕之地記念碑」の記念碑を完成させ、2021年現在、臼井霊気療法学会の会員であり、日本ホリスティックメディスン会員でもあります。海外遠征は減ったものの国内でセミナーを定期的に開催されています。
林忠次郎氏について
日本発祥のレイキ療法を世界のレイキに発展させるきっかけを作った人
1879年、明治12年に誕生し1902年に海軍学校を卒業、その後の現役時代は軍医だったといわれます。医師としての知識を見込まれ、臼井先生からレイキ療法の医学的検証と技法の改善を託されます。1925年、臼井先生の最後の神秘伝者となり、東京信濃町に林霊気研究会を設立、療法の研究と同時にレイキの研究も進めました。そこでは東洋医学の見地からの経絡、ツボ、チャクラなどのエネルギーセンターも重視され、その他数々の試みの成果が現在の西洋レイキに引き継がれ、世界で使われている「基本12ポジション」やアチューメントの原型はここに存在しているように思われる、との土居先生の言葉です。13名に神秘伝を与え、うち一人は高田はわよ氏。
高田はわよ氏について
西洋レイキの祖、世界最初のレイキマスター
日本人の両親を持つ、1900年ハワイ生まれの日系2世。1935年、昭和10年に医師から余命わずかと診断され、療養に専念するため両親の故郷である山口県に一時帰国しました。赤坂の前田病院にて手術を受けるべく手術台に上がり、まさに今から手術が始まる直前、「手術は受けてはならない」との内なる声が3回聞こえ、そのまま手術台を降りました。手術以外の治療として林先生の霊気治療所を紹介され、毎日通ったところ、3ヶ月後に症状が消え、8ヶ月後には完全な回復を遂げます。そのまま、一年間、霊気療法を学び、奥伝の伝授を受けた後には林先生と共に出張治療にも出かけるようになり、1937年、再び2人の娘とともにハワイに帰国した後、レイキ・クリニックを開きます。1938年、林氏は高田氏にレイキマスターを与え、そのまま資格として法的に登録し、特別な地位を保証しました。戦時中という困難な状況にも関わらず、クリニックで多くの難病者へのレイキ治療に専念し、75歳を過ぎてからレイキマスターの養成を開始します。22名のレイキマスターの中には世界に普及する西洋レイキの元になる2大団体、「レイキ・アライアンス(フィリス・フルモト)」「ラディアンス・テクニーク(バーバラ・レイ)」があり、全ての西洋レイキはここから始まっているともいえます。